劇作家・演出家 鐘下辰男氏へのインタビュー


話し手:鐘下辰男(劇作家/演出家/演劇企画集団「THE・ガジラ」主宰/桜美林大学客員准教授)
聞き手:酒井一途(ミームの心臓主宰)、岩渕幸弘(思出横丁主宰)、菊地史恩(四次元ボックス主宰)

演劇公演企画『学生版日本の問題』(2011年12月上演)に寄せてのインタビュー記事の採録。各肩書は2011年当時のものです。


企画公演『日本の問題』について

酒井 では早速お話を聞かせていただこうと思うのですが、まず「日本の問題」と掲げて演劇をやることの是非について、どう思われますか?
鐘下 僕の印象だと、ここしばらく大学演劇が元気ないなというのがあって、あくまで僕が演劇を始めた80年代なんかに比べるとだけどね。あの頃の元気というか、派手さに比べると。あの頃が良いか悪いかは別にして。でもここ二、三年くらいかな、また当時とは違った形で学生劇団の活動が活発になって来ているなという雰囲気は感じていて、面白いことが起きそうだなと、非常に期待しています。
酒井 演劇界全体の展望として若手が出てきていると。
鐘下 そうそう。諸君らは90年代前半生まれでしょう?
酒井 はい、そうですね。
鐘下 90年代って言うと、日本の演劇界では俗に言う「静かな演劇」が注目されはじめて、それが年を経るごとに演劇表現として認知されていった時代でしょ。君たちが演劇を始めようなんて思ったときには結構それがポピュラーなものとして現前としてた状況だったと思うんだけど、それとは一線を画すというか、先行世代にはない自分たちの「物語」を語ろうという気運というか、そういう面が感じられる気がする。
酒井 なるほど。
鐘下 あと「日本の問題」っていうテーマの掲げ方ですか。それはここ十年くらいかな、先行世代が今の若者の作る芝居を評する時に、自分の半径三メートル以内の物語しか書かないじゃないかっていうような批判がよくあったんだけれども。
酒井 岸田賞の選評とかもそうでしたね。
鐘下 そこで「日本の問題」とドーンと来るわけだから、そうした批判を意識しているかどうかはわからないけど、少なくとも外に向かおうという意志を感じるから、面白いというか、なんかワクワクしちゃうね。こっちも。


演劇で伝えたいもの

酒井 例えば静かな演劇を挙げてみると、平田オリザさんは自分の著書で、「伝えたいことはもう何もない」みたいなことを仰ってますが、それと日本の問題って、かなりかけ離れたところにあると思うんですね。そこで、静かな演劇が台頭してきたことについてはどう思われますか?
鐘下 日本の近代演劇は始まった当初から、これも良い悪いは別として確固としたものがあったんだよね。日本の問題として伝えるべきものが。たとえばそれは大きく言えば日本の近代化だったりした。だから西洋近代思想を啓蒙したり、時には社会主義リアリズムに走ったり。これは要するに当時の社会情況がそういう問題提議を可能にしていたと思うんだけど、つまり多数の人間が一つのイデオロギーであったり考え方なんかを、たとえ今から見ればそれが幻想だろうとなんだろうと、みんなが信じることができた。
で、そうした問題提議は60~70年ぐらいまでは可能だったんだろうけど、80年代とかになってくると、それがむずかしくなって来る。価値観の多様化も進んで、なにを伝えるべきなのか見えにくくなってしまって迷走がはじまる。そんな時に、「何も伝える必要はない」とズバリ言ってくれたわけだから、当時の若い人たちにとっては受けが良かったのかな。
酒井 そろそろ、それにも飽きが来ている……?
鐘下 「伝えたいことはもう何もない」という、これも一つの主張だとは思うけど、こうした主張にある新鮮さがあったのは確かだと思う。「演劇は何かを伝えなくてはいけない」「でもなにを?」って模索してたら「そんなのいいんだよ、そういう時代じゃないよ」って言われて、なんかすごく自由になれたっていうかね。そこから「そうだよな、演劇がそもそも人のため世のためにならなくちゃならないって法はねぇよな」っていう風潮なんかも出て来てさ。でもそれも二十年ぐらい続いて来ると、おいおい本当それでいいのかと。それは現代の社会に対する不安が大きいと思うけど、やっぱ何かないことにはこの不安にみんな耐えられなくなってるっていうかさ。若い人だけじゃなくて。みんながなにかを探し出そうとしている、そういう感じはする。昨今の哲学ブームみたいなの見てるとね。


プロパガンダとしての演劇

酒井 ネットが流行りだして、テレビもそうですけど、プロパガンダの手段としての演劇っていう役割は薄れてきていると言われますが……。
鐘下 なんで演劇がプロパガンダに利用されたかっていうと、人が集まったわけでしょ、演劇すると、昔は。これは今と違って娯楽の数が決定的に少なかったってのが大きいと思うんだけどね。かつての演劇の娯楽性ってのは相当高い地位にあったと思う。
ただ世の中が豊かになるにつれテレビを筆頭にいろんな娯楽が生まれ出して、それが80年代くらいになると爆発的に増えていくわけでしょ。で90年代になるとネットなんかも出て来る。今やテレビは娯楽の王様じゃなくなってるわけだし。若者がどんどんテレビを見なくなってきているなんてことも言われてる。ネットを使えば自分専用の娯楽なんかも簡単にできるわけだから。相対的に演劇の娯楽性としての地位は相当低下しているということはある。つまり演劇がプロパガンダの有効な手段ではなくなってきているよね。今は。
酒井 それでも僕らは日本の問題を掲げて演劇をしようとしているし、鐘下さんも何かしら日本の問題を突いた演劇を上演してらっしゃると思うんですが、プロパガンダの役割としては薄れてきているのに、それでもまだ日本の問題を掲げて演劇をすることの意味というのは?
鐘下 演劇っていうのは、とことんアナログな世界だからね。演劇を観るには客は劇場に行かなければならない、演じ手だってそうだし。経済効率はすこぶる悪い。ただ、同空間に演じ手と観客が存在するっていうある特異な空間だからこそ成立するものがあるのも確かで、それはテレビにも映画にも、ましてやネットにもない演劇独自の力があるはずだと思ってるから、みんな演劇を続けているわけだよね。じゃそれはどんな力ですかって問われると簡単には答えられないけど、演劇にしかできないものがあるんだってことをどこかで信じているんだろうね。
岩渕 何か物事が進んで便利になって発展すればするほど、よりアナログだったり不便なもののマイナス面があるからこそネットが発展したというか、マイナス面が逆に功を奏すっていうものが物凄くあるような気がしていて。新しいものにもそろそろ限界が来てて、発展してたことを知らない人たちがもう一度原点に帰るんじゃないかと思うんですね。だから古いものに目が行ったりして、昔は良かったと。上の年代よりも、僕たちぐらいの年代の方が割と昔に興味を持っていたりするのが面白いなと。
酒井 今の時代、学生運動に興味を持ってる人が多いですものね、学生の中で。僕自身も69年という時代に好奇心を惹かれたりするところはありますし。
鐘下 でもそれは僕らの時代にもあったよ。僕らが20代っていうのはいわゆる80年代で、当然当時、学生運動は過去のものになっていたけれど、ああいうものに対する憧れや嫉妬みたいなものを持つ人は多かったね。
ネットのように人間が身体を介さずにコミュニケーションするようになって来て、さすがにそれはまずいんじゃないかと今じゃ誰もが思うようになってきていてさ、この段になって演劇の必要性みたいなものが言われたりはしてきている。例えば演劇トレーナーみたいなのを育てて、学校教育として子どもたちのコミュニケーション能力の強化に役立てようとか。あとは桜美林でもやっているアウトリーチとかさ、演劇が娯楽としてのそれよりも、ある種の社会活動としての一貫として注目されはじめて来ているって流れはあると思うのね。そういう面では、一昔前に比べると演劇も随分市民権を得て来てるなって気はするんだけど。
酒井 菊地くんは今の話を踏まえて、どんな風に考えましたか?
菊地 スピリチュアルな話になってきてしまうんですが、直に話しているのと、電話に話すのとの間にあるエネルギーの差っていうのを感じられない若者が多い。学生運動ってのも、興味ある人はあるんですけど、知識として知らない人の方が多いじゃないですか。そこまで本も読まなくなってきているし。ネットで「ああ、こういうのがあったんだ」というぐらいで。だから僕は過去の物事に対する興味と言うよりは、ただ単に生身の人間が何かをやるという演劇のエネルギーが今の時代には必要になってくるんじゃないかなって。


演劇と大学システムの関わり

岩渕 演劇の力がなくなっていったって言うじゃないですか、その演劇の流れを作った年代の人たちが現場の人間なのに大学教育に回っていった。有名どころはみんな大学の教授になって。そういうのは、現場の人間から言うと日本の演劇の中で転換期なのでしょうか?
鐘下 90年代になると演劇のあり方が大きく変わっていったのは事実だと思う。象徴的だったのが新国立劇場の開場だね。色々問題はあるにせよ、一応体裁だけは現代演劇の国立劇場ができた。
このころからだと思うね。演劇が行政なんかがやる文化事業の一つみたいな地位を獲得しはじめて、さっき言った学校教育への参入とかね、そうした流れの中から大学が演劇学科を作っていったという流れはあるのかも知れない。
ただ先ほども言ったけど、演劇をやるんだって心的モチベーションが、時代が下るにつれ、かつての近代演劇勃興の頃のようなひとつの価値を信じるということへの不可能性が進行して、それぞれがそれぞれの演劇活動に個別化していった状況が、そうした大きな流れに呑み込まれていったというのはあるかもしれない。
岩渕 それは現場の人間が折れてしまったと?
鐘下 折れてしまったというか。
岩渕 演劇を学校でやるということを、例えばテントでずっと回っていた唐十郎のような人が思うようになるとは、僕には思えなかったんですね。学校というシステムの中に入って、授業で先生と生徒という関係性の元で演劇をやってしまうと言うことですから。野田秀樹もそれに入ったし。
鐘下 たとえばかつてはそうしたシステムに対する批判の文脈をみんなが持っていたというか、その文脈をみんなが信じられてたって状況があった。乱暴に言うとたとえばそれは日本の現代演劇がその体質の根底に抱え持っていた反国家だったり反権威だったり。それが無意識にせよ演劇する全員が共有できていた。ただそれが信じられなくなってきた。反権威って言ったって、「権力ってどこにあるの?国家ってどこにあるの?」って感じでね。そんなことより自分の趣味の方が大事だって言ってオタクに走る、それが僕らが20代を生きた80年代だった。当時はそれこそ先行世代に今の演劇は私演劇だなんて言われ方をされたりね。そうして演劇人が個別化していくのに反比例するかのように、文化国家なんていう新しい文脈が一方では生まれて来る。そういう流れの中で、演劇人が岩淵の言う学校という大きなシステムに吸収されていったということはあると思う。
80年代に演劇を始めた若い世代、つまり僕みたいな連中だけど、20代で芝居を始めて30代になると助成金制度も大々的に行われるようになった。当時は先行世代から「国から金もらって、お前ら芝居やるのか」と揶揄されながらも、腹が減っては戦はできぬってな具合にある種みんなが利口なリアリストになっていく。良い悪いは別として。そういう演劇人としての体質変化はあるかも知れない。
酒井 体制がハッキリしなくなってきたのも原因ですか?
鐘下 体制?
酒井 権力というものがどこにあるのかという。
鐘下 そうそう。例えば僕は監視社会というものに今興味があるんだけど。かつては監視をするのは権力の側だった。あくまで我々は監視される側だった。それが今や権力云々というよりも、我々が監視したくなってる。つまり危険な奴、おかしな奴は早急に監視によって発見したいという欲求を我々自身が持っている。権力が我々を操作するという従来の構図が見えなくなっている。「俺は今権力に自由を奪われている」というリアリティがなくなって来ているから反権力の芝居を作るという発想も生まれてこない。
酒井 我々が我々を監視してるってのは面白い視点ですね。
鐘下 みんなが望んでるわけだよね。危ない奴は早急に排除しようって。


学生に期待する視点

酒井 最後の質問をさせてください。学生の視点にどういうものを期待しますか?
鐘下 例えば僕らは「戦後日本教育」で、君らはマスコミで言うところの「ゆとり教育」で、受けてきた教育理念も違うし生きてきた時代も違うよね。僕が生まれたのは昭和三十九年だから高度成長の時代ですよ。「日本はいいよ!」って言われながら大きくなってきた。でも君らの場合は生まれた時にはバブル崩壊してて、経済的にも落ち込んで、「日本はダメだ!」ってのを聞きながら大きくなってきたから、全く違う感性を持ってると思うわけ。僕らには想像出来ないようなね。
だから若い人たちがどういう風に今の社会なり日本……まあ世界でも人間でもいいんだけど、どういう風に人間を見て芝居を作っていくんだろうという興味があります。例えばこの「日本の問題」、それこそ自分の三メートル以内の世界じゃなくて、なんからの形で「日本」というものを語っていこうとしてるわけじゃない? そこにどんな日本観が出てくるのか、そこに凄く興味がある。そこで語られるのは多分僕らには無い感覚、感性がベースになってるだろうし、そこの期待感ですね。
酒井 ありがとうございます。
岩渕 大人版だと僕たちの倍ぐらいの年代の人が多いわけじゃないですか。だから合わせて見たときに、同じテーマを掲げている人が被っていたりしても、たぶん全然違う結末だったり結論を持ってくるはずだっていう。
鐘下 そうだろうね。それこそ「3.11」を取り上げたって、全然違うものが出てくるんじゃないのかね。
酒井 ひとつの物事の見方でも、全然違った視点を持ちますものね。
鐘下 そうそう。だから変な話ね、諸君らはよくさ、日常的に先行世代から「今の若いやつは、今の若いやつは、今の若いやつは」なんて言われたりするわけじゃん?
酒井 はい。
鐘下 「俺たちの頃に比べたら、今の若いやつは」みたいなさ。「俺たちに比べたら弱くなった」とかさ。それって結局、日本の社会状況の変化とか、教育のシステムの変化とか、いい悪いは別にしてそこの体質変化に気がつかないで印象判断してる先行世代がすごく多いと思うわけ。でもそうじゃないんだっていうね。君たちが「日本」を語ることによって、日本そのものの体質変化っていうかさ、そういうのが出て来てほしい気もするね。


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